沿革

安洞院の歴史・沿革

安洞院のはじまり

DSC_0432.JPG■開山と本寺
当山は香澤山安洞院と称し、文禄4年(1595)2月、福島市小田、位作山陽林寺第六世玉峯芳積大和尚により開山された曹洞宗寺院である。本寺陽林寺は戦国の武将伊達政宗の曽祖父稙宗公の開基になる古刹であるが、その系譜は静岡県森町の雲林寺、同町の大洞院、更には大本山總持寺、大本山永平寺に連なる。

■開基について
当山の開基は度重なる火災により不詳であるが、開基位牌には、香澤院殿成案現公大居士と識されており、戒名から思量すると戦国の武将であったものと思われる。

開山400周年への道のり

DSC_0282.JPG■伽藍の復興
開山以来、三世代元禄14年(1701)および十一世代万延元年(1860)の二度、火災により全山を焼失、文久2年(1862)、中興玄明代に復興するも本堂の再建はなされなかった。昭和53年12月、十五代玄邦代に至り、118年ぶりに本堂、翌年に位牌堂が建立された。



■400周年記念事業
以後、十六世現住俊邦代に至り、開山堂、庫院、会館、事務所、管理棟、総門等の諸堂宇が完備され、併せ1600区画のしのぶ霊園の開発も進められた。平成6年10月1日、管長梅田信隆禅師を特請、因脈会、開山400周年記念の大法要が厳修され、山門「千松関」が建立されている。



史跡もちずり

DSC_0408.JPG■安洞院と文知摺
安洞院は開山以来、史跡文知摺観音の別当職を務め、三世漢補和尚は、水月庵中興の祖とされる大了是道庵主と計り、観音堂、水月庵を1万人の浄財を以って、宝永6年(1709)再建、四世恵禅和尚は享保13年(1728)鐘楼堂(後、昭和19年軍に供出)を建立、八世光隆和尚は名工、藤原右源次義高をして、現在重要文化財指定の多宝塔を文化9年(1812)に建立させている。

未来へ向けて

同境内は、「しのぶもちずり」として親しまれ、河原左大臣の和歌
みちのくの しのぶもちずり 誰故に 乱れ染めにし 我ならなくに
で普く知られ、元禄2年(1689)松尾芭蕉、寛政6年(1794)京の俳人丈左房、明治26年(1893)正岡子規、大正時代には小川芋銭等数多くの文人墨客が足を運んでおり、境内には数多くの堂宇、句歌碑等が建立されてきた。また、皇族方の行啓も多く明治時代には東宮殿下(後の大正天皇)、昭和時代には貞明皇后、秩父宮妃殿下も行啓されている。歴代の住持の護持により史跡文知摺を擁する安洞院は、開かれた寺院として県都有数の名刹に発展しつつある。
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